2012年10月14日

思い出に逢いに

ビーグル追っかけカメラマンの湯山さん

ご自身の愛犬、ビーちゃんを介護なさっていた奥様のブログがきっかけで
ちょびを撮影して戴き、その後も雑誌の取材やお誕生会でちょびの姿を
写真に残して下さいました。


最初にお会いした時にした約束。→http://letsgochobi.a-thera.jp/article/1064106.html


果たして参りました。

“今日のビーグル”展

10月一杯開催中です!!





宣言通り、ちょびのオモイデと共に、5年前のちょびと再会して参りました。

飾られていたのは、図らずも、撮影して戴いた中で、最も幸せそうと執事が思えた
ちょびの遺影にしている写真。

湯山さんがその1枚を選んでくださったことが何よりうれしく
ちょびが本当に幸せそうで、それもまたうれしく。

18歳のお誕生日にいらして下さった皆さんとの集合写真も。

みんなの腕の中にはそれぞれの相棒三毛犬達が抱かれ、
みんなの満面の笑顔が弾けていた瞬間。


あの時の嬉しさが甦って、またまたうれしくなった執事。



改めて、また、ちょびから貰った幸せの、笑顔の、なんと多かったことか!!と
気付かされました。


約束をしたときには、もしちょびが旅立った後だったら、
見に行けないかも・・・と思いつつ、
だからこそ、先に宣言しちゃって、立ち直るきっかけにしなきゃとまで
思っていたほど、ちょびを失うことを恐れて、怯えていた執事。




ちょびがお空部隊になって以降、どこかでやはり穴を埋めることは出来ず、
その穴を少しづつ少しづつ拡げていた気がします。

自分が守らねばならぬ命が無くなったことで、我が身を守る必然性が無くなったものですから(苦笑)

自分はどうでもよくなってしまったんです。
生きてる張り合い失くしたって感じで。

昨夏はとうとう普通に生活する事すら難しい状態になって、
ちょびのお誕生日にひまわり供えてやることも出来ませんでした。

そこから、いろいろな方の助けを借りて、やっと少しずつ生活を立て直せてきた
今日この頃。



本当に久しぶりに
都内に外出、人と逢う、お花を活ける、都内ドライブという
以前の当たり前を再チャレンジのきっかけになりました。
小さな混乱はあったけど、すべてこなせて、
“あぁ、大丈夫!”と自分に自信と安心を取り戻せました。

どうにもこうにもならなかった時、思っていたことはただただ
“ちょびに逢いたい”ってことでした。


湯山さんのお蔭でちょびに逢えました。

ちょびが残してくれたご縁に感謝。


そして、お空部隊、確実にいるなと思っております。。。。
奴らの差配としか思えない数々のお蔭で、生かされてると思えます。

虹の橋で大声で叫びながら、ちょびを探す日はまだ先のようです。
その日まで、のたのたと、出来ることならば笑顔で
お空を見上げながらその日まで過ごしていけたらと思います。


やっと少しそうやって生きて行こうと思えた1夜でした。



ありがとう
ちょび

お空に行っても面倒掛けて、スマン

支えて貰っていたのは執事の方だったって事、あなたがお空に行って以降
思い知らされた

気付いてなかった自分の傲慢を


あなたが残してくれたご縁にいっぱいいっぱい助けられた
ありがとう

いっぱい いっぱい ありがとう



虹の橋でまた逢える時には、スイカとか林檎とかたくさん持って行く
食べさせてやれなんだ分、これでもかっ!!ってほど持って行くから

遺言しとくから、ちゃんと
執事がお空に行く時にはスイカとリンゴを山盛り一緒に詰めて下さいって(笑)

その日までどうかこれからも見守っていて



ね、ちょび

これまでもこれからも私の最愛の相棒でいて
またあなたをこの腕で抱きしめられるその日まで

で、久々のちょび毛にやられて、くしゃみ連発、鼻水ずるずるになるんだな 苦笑。それが執事とちょびの1人と1匹生活だものね 爆。

ティッシュも山盛り詰めてもらわにゃ(汗)
ニックネーム 執事 at 08:52| Comment(3) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月03日

22年

ちょびが生まれた日から22年。

執事犬お空部隊歴も3年を超えました。


改めて、相棒であったと思います。
執事が我が身に代えても守りたいと思った命でした。



いつかまた逢えたなら・・・・。
そう切に切に願います。







なんと、このブログに張り付けていた動画のほとんどで使用していたアップローダーの
flip clipが6月?でサービス終了になってしまったようで、
現在動画張り付けていたページの表示でエラーになっています。

元のデータが他のハードディスクに入っており、再度アップローダーに取り込んで賽貼り付けという作業が必要(大泣)

ちょっと今すぐには無理なので、ぼちぼちとやって行こうと思います。







この命だけは、自分が守る。

守り方はそれぞれだけれど、命の保護者である限り、
自分の都合で放棄することは、やっぱりダメでしょと思います。


というか、執事的にはぜってー許されねーよっ ←ぼそっと



執事は預かりっコを途中でバトンタッチして、一抜けしたこともありますから、
エラそうな事は言えません。

言えませんけど、

かわいそうだからぁ〜
とか
かわいいからぁ〜〜〜
とかで、命に手を出して、
やっぱりむりぃ〜〜〜っ てへ
ってのはやったことはありません。


そんなのそうそうないでしょ?って思えるかもですが、
結構あったりします。。。。


こんなもんだよって奥歯ぎりぎりさせちゃうことは当たり前に日常に存在してます。


削れるのは奥歯だけじゃなく。
形のないものも確実に削られます。

削られて、ささくれて、のたうちまわって、
そういう中で、
自分が信じられる、大事な大事な確かななにかに
支えられていたりします。


たかが犬ですが、ちょびは執事にとって、今も支えです。
今なおほんとうに大事な相棒です。

生きものは、種を超えて、パートナーって言える関係を人と
結び得る命なのだと思います。


生きものをもてあそぶことは、したくないと思います。
そして、そこに加担することも。

複雑で、明確に線を引くことは出来ない場合も多いのだけど。

確かな事を見失わずにこれからもちょびの執事でいられますように。
そう願います。





ニックネーム 執事 at 02:43| Comment(1) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

巡ってきた

風が変わったと感じた今日。
あの日と同じ風を感じた今日。


実はちょびをお空に送った日に、執事はちょびと主治医と看護師さんとお花見をしました。

大発作の後、運び込んだ病院で半日以上、意識が戻ることなく手術台の上で横たわる
ちょびの傍らで時を過ごしました。


考えられるあらゆる手を施して下さった主治医。
ですが、その甲斐なく、反応は戻っては来ず、どんどん悪化してゆきました。

尽くせる手が無くなった時に、主治医が、“外に行こう!”と。

病院の目の前の小さな公園は桜が満開でした。

ちょびは酸素マスクが外せない状態。
心拍もかなり不安定な状態でした。


そりゃ、ちょっと無茶なんじゃ・・・と戸惑う執事と執事母をそのままに、
主治医はさっさと看護師さんに指示を出し、酸素ボンベを用意させ、
“ずっとここにいたら、息詰まっちゃうでしょ?ちょびちゃんも”と。
“さっ!付いて行くから、大丈夫だから行こう!”と。

丁度午後の休憩時間が終る少し前の事。

持参したベッドに寝かせたちょびを執事が抱えて、
点滴バッグと酸素ボンベを下げた看護師さんを従え、
酸素マスクをあてがう主治医とともに。


言葉に出来ない時間でした。今なおあの時の感情は言葉では言えない。

恐ろしく果てしなく悲しく、
でも、どこかで、あぁ逝くんだなって分かった
そんな時間でした。


ずっとずっと、お花見できたら・・・と言い続けていた執事と主治医。
だからこその時間でした。

泣き笑いで、どうしたらいいんだか分からない、
でも、でも、とてもとてもある意味幸せな時間でした。

自分に言い聞かせるように、よかったね、きれいだねって
それだけをちょびに話しかけました。


自分に踏ん切りをつけるために、自らの決断でちょびを送るために、必要な時間でした。
あのお花見があったから、執事はちょびを送ってやることが出来たと今想っています。


思い出すと、やっぱり今でもダダ泣きなオモイデですが、
でも、やっぱり、あの時間過ごせたことは本当にありがたかったなぁと思います。


そういう時間を作ってくれた、主治医を持てた幸せと幸運を心から感謝しています。




喪失という傷みに寄り添うこと。

この1年、
千年に1度とまで言われる大きな喪失を抱えた土地に足を運び、
自分にあまりに足らぬものを1年経ってやっとやっと少し気付いた今、
その形は様々ですが、自分なりにもう1度、考えてみたいと思っています。



もうすぐ、あの桜も薄紅色に。
逢いに行きます。
また見上げてきます。

まだまだ胸は張れないけれど、でも、
執事は元気だよって伝えてきます。


また、今年もちょびの季節が巡ってきました。
ニックネーム 執事 at 06:29| Comment(4) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

あるがままに

これからは“あるがまま生きて欲しい”という祈りをありったけ込めて、
名付けたコが逝きました。


ちょびを送って、ほんの数日、まだ心がふわふわと彷徨っていた執事のもとに
やってきた命。



わがままで、強気で、人をこき使いやがるのが大の得意で。
気に入らないことは断固気に入らず。



でも、本当に甘ったれな坊や。





執事家でのあなたの姿をここに。
まさにあなたな姿をここに。













里親募集用にとせっせと写した写真。
なのに、なのに、どれもこれも眠そうな顔で、使えないじゃんとお蔵入りした写真。



あらき 1.jpg


あらき 2.jpg

あらき 3.jpg






あなたには
あなたのことを愛おしんだ、
あなたに想いを寄せた、
人がいた。


何を幸せというのか、
何が幸せなのか、
それは様々だけど、
でも、あなたは人の隣で“あるがままに”生きたのだから。

ご縁がつくことが幸せというならば、
その“幸せ”は掴めなかったけれど、
でも、あなたにはあなたなりの“幸せ”があったのだから。
あなたを愛おしみ、慈しみ、想いを寄せた、心を寄せた人が
あなたにはたくさんいたのだから。

それは“幸せ”なこと。




看取って下さった、送って下さった、
ゆらまま様に心からありがとうを。






虹の橋で逢えたなら、意地悪執事とガチなおもちゃ取りっこ、またやろう。
ね、樸。

ニックネーム 執事 at 02:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 樸(あらき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月05日

21

夏の空.jpg

久々に覗いた青空
抜けるような青空



そうこなくっちゃっね!
なんてったって、底抜けに前向きなあなたが生まれた日だもの♪

空だって、晴れるわな。


20110804.jpg

この空の下、その生を笑って共に過ごす人のいないしっぽ達が
わらわらと集められているセンターへ。

彼らが生まれてきたことを、
彼らが生きてることを
笑ってくれる人はいないのだろうか



お空に逝っちゃって2年以上経った今も、
その生受けた日を、
その命、生きたことを
ただただ感謝している


しているからこそ、
そのギャップがいかんともしがたく、
しているからこそ、
どうやっても受け入れられるものではない


ここで、その生終える為に生まれて来た訳ではなかろうに!
なぜ、ここで、その生終えねばならぬ命がこんなにもこんなにも
いつもいつも溢れているのか

なぜ、なぜ


答えは1つではないけれど、
これまでも、
そしてこれからも、
向き合うことは止めない



大盤振る舞い.jpg

今年はなんだか、お高いのよ

でもね、腹いっぱい(代わりに)食べとく顔(ペロッ)


ひまわりはね、天候不順で、まだひょろひょろなの
あなたに相応しい、おりゃっ!っていうパワー不足

特等席もね、今年はなし。中止


あなたと共にもし遭遇したらと、恐れに恐れ、
これでもか、これでもかと備えて来た震災が現実に起こってしまったから

本当に自分勝手なんだけど、
でもあなたがお空にいることをどれほど安堵したかしれない


だから、ひまわり(代)は遭遇したコ達に送ったよ
執事犬はお空部隊だからね
遭遇してしまったコ達のご飯の足しにしたよ


ジャングルジャングル.jpg

そうそう

すくすくとお育ちになったモンステラは鉢を大きくし、3鉢に株分け。

1鉢は養子に。
ご陽気に、仏壇もどきをジャングルジャングル♪にしてくれてる。

いいやんっ。





初めて、しみじみ思った。

お空に送った日からのこの年月、
モンステラがすくすくお育ちになったこの時間、
もし、もし、あなたが生きてたら、
いや、そりゃ、こっちも無理だったわなと顔(イヒヒ)
散々、散々、生きていて欲しかったと
いない時間を数えて来たのだが、
いや、いや、さすがに、そいつはバケモンじゃいって
やっと、やっと、がははと笑えた。

お空を見上げて、笑った。


あなたは生きたいように生きて、逝ったのだと。
最後まで、歩いて、喰って、逝ったのだから。
それでよかったんだねと心から、そう思えた。

もう少し、もうちょっと、という
欲やら
執着やら
寂しさやら
悔しさから
やっとやっと解放された。


出逢えてよかった
暮らせてよかった
送れてよかった


そう、思う




生まれて来てくれたことにありがとう
出逢えたことにありがとう
一緒に暮らしてくれてありがとう
執事やらせてくれてありがとう
送らせてくれてありがとう


たくさん、たくさん、あなたにありがとう


ちょび、
執事はあなたが大好きです

執事は執事なりにせいいっぱいあなたを大事にできた

だからお空で、あなたも笑ってるやね
笑ってるハズだ

そう思えたから、そういうことにする顔(イヒヒ)
愚痴こぼしてたり、ぶー垂れてたとしても、お構いなしっ

執事犬だもの、それでよし!



inubisline.gif

執事犬の必須条件“スイカが大好きな事”を受け継ぐしっぽが北の国で
すくすく育ってるるんるん

生後3カ月にして、真冬の2月に、初スイカをお召し上がりになった
ちびずの風ちゃん顔(笑)

揺さぶられているそうな顔(イヒヒ)

三つ子の魂百までか?
乳母のお仕込みの成果か?!

ニックネーム 執事 at 13:53| Comment(8) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月03日

今年も

2011ちょびの季節.jpg



見かけてしまい、買ってしまいました。
咲いておりますよ、まぁ、見事に。




昨年のように“待ちわびる”ことなく、時が過ぎていたのですが、
見てしまうと、やはり、つい手が伸びるのはもう致し方なし。



相変わらず、三毛犬見ると、いつでもどこでも、もれなく、
おっ!っと反応してしまうのも致し方なし。

撫で撫でしてみるも、全く違う手触りに、(密かに)がっくしなのも致し方なし。
←いや、これだ!っつう手触りだったら、なんとしても拉致りかねないゆえ、
それはそれでかなりヤバい。



そしてそして、後ろに写る、モンステラ。
育て方をちょいと調べて、肥料などをやってみたら、
あらまぁ@@
ぐんぐん、お育ちになってしまわれましたよ@@


夏になったら、植え替えついでに、切り戻しして、
挿し木で鉢を増やしてみようかしらん?



確実に月日は流れたのだなぁ〜と静かに感じるこの頃です。






ちょびの執事時代にやりとりをさせて戴いたこともある、老犬介護仲間で、
ちょびより少し前に相棒を送った方が書いていらした一文を拝読して、
深く深く頷いた。


***********************************
『傷手の行方』

今日は素晴らしい快晴だった。

去年の今頃は●●がいなくなった事実を受け止める努力をしていた。
バイクに乗って気を紛らわすと言う事だけではなく、むしろそれを突き詰めて納得する努力だった。
身体を動かして事実に付随する悲しみをそぎ落とすようなことだろうか。
とにかく悲しかったし、それは辛かった。
そしていまはその事実は全てを納得して、自分の収めるべき場所にきちんと収まっている。
だから●●がいなくて寂しいが、悲しみはずっと少なくなった。
しかし何かにつれて、ふとあの感覚が呼び戻される。
具体的な悲しみではなく、悲しかった事実の感覚だけだ。
花の香りだったり、陽の光だったり、それが作る影だったり・・・、それが引き金になる。
去年の今頃のあの辛さの感覚だけがまだ戻ってくる。

きっと来年の今頃になればこの感覚もずっと薄れていくんだろうな。

別離の傷手には2年の時間が必要と経験からもそう思う。
すかんと抜けた青空の下を走りながらそう思った。

***********************************

『突き詰めて納得する努力』
そう、まさに執事にとって、ちょび亡き後、預かりっこと過ごした時間は
ちょびがいないことを突き詰めて納得する時間だった。


『しかし何かにつれて、ふとあの感覚が呼び戻される』
そう、執事にもやっぱり、引き金は存在していて、
辛さの感覚は相変わらず襲ってくることはあったりもする。

お見送りの際のバーナーの音であったり、
百合の香りであったり、
甘えるでなく、媚びるでなく、そっと体を擦り寄せ、じぃーとこちらを見つめる瞳であったり、
咲き誇るしだれ梅の大木であったり、
シンと冷え切った真夜中の空気の中見上げる、月であったり。



そして、昨年までのなによりなによりの引き金は『桜』だった。
なのだけれど、今年は静かにこの花を愛でている自分に気づいた。







2年近くの時が流れ、やっとあの時に友が送ってくれた言葉が
しみとおってきた気がします。


VOCATUS ATQUE NON VOCATUS






ちょびのかけらを土に返した、あの樹が薄紅色に咲き誇る姿を
今年こそは笑顔で見上げられるだろうかと思いながら
蕾が膨らんできた樹を見上げています。


ニックネーム 執事 at 02:57| Comment(1) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

犬んぽなしの冬

ちょびを送った後、なんやかんやとわんこを次々に拉致していた執事。
春にちびずを送り出して半年強。

20年ぶりのわんこなしの冬。

“犬んぽ”ないと、さぶぃバッド(下向き矢印)

身に凍みてさぶぃ顔(泣)




物理的には、“犬んぽ”がいないからさぶぃんじゃなく、
ただ単に暖房ケチってるからさぶぃんだけど・・・・ね顔(汗)

つか、この家に越してきて以降、ずーっとスパシニちょびがいたし、ちょびを送ってからも
元気ハツラツ系わんこは皆無だった執事家ゆえ、冬でも室温は24度。

チームマイナス5%もけっけっけっと早々に脱退し、
地球に喧嘩売っての電気消費しまくり。



なにせ、大事な執事犬の為ゆえ、毎月のおっそろしい額の電気代も致し方なしだった。
(家族4人の1軒家の電気代より高いと知った時にはクラっとしたケドたらーっ(汗)



そんなさぶぃ執事家だけど、コヤツは元気にすくすくとご成長。


育った.jpg




過去の執事犬の仏壇(もどき)写真に常に写り込んでるモンステラ。
仏壇(もどき)とはミスマッチなトロピカル〜でハワイアン〜なコヤツ。
ご成長あそばされ、かなーり場所取り始めたコヤツ。


かさばっている.jpg



(っつかそろそろ鉢を大きくしてやるべき?あせあせ(飛び散る汗)



ちょびを送ってからというもの、執事は熱狂的花屋通いにどハマった。
お花の仕事をしていたこともあり、かなーりお花の好みがウルサイ執事。
なんとしても、常に、自分が納得する花をちょびに供える!ってことに固執して、
気にいった花を探し求めて、花屋に日参、見つかるまでハシゴするっていう日々が
かなりの間続いた。

花市場に出入りできるゆえ、束買いするのも日常茶飯事。

いったいどんだけ花に諭吉つぎ込んだかと考えると微妙に汗が出るふらふら

常にお線香の香りがしていないと耐えられなかったし、
これぞっ!っていう花が供えられていないとどうしてもどうしても嫌だったのだ。
執事にとって“悼み”の香りである百合の花の香りがしていないと、ちょびがいないことを
忘れてしまうから、(かなりオカシイ逆説的強迫観念。)常に百合の花を欠かさず、
その香りを嗅ぐことで“ちょびはもういない”ってことを自分に確認していたんだ。



いない事実を忘れない為の百合と
ちょびへ手向けるこれぞっ!つう花を
常に常に絶やさずにはいられなかったのだ。




それこそが、
“果てしなくしつこい”執事が
“ちょびの執事”っていう役割を失っちゃった後に
その代わりとしてすがらずにはいられなかった
なんとしてもせねば!と思える、
どうしてもしたいっていう“新たな役割”だったのだ。




そんな毎日を過ごす中で、ある日、そんな日々が苦しくなった自分に気付いたんだ。


なにかに強迫されるがごとく、“しなきゃ”って思う自分が苦しくなったんだ。
でも、してないと、居ても立っても居られなかったのも事実で。


でもね、“しなきゃ”って想うことを止めようって思ったんだ。
そうしたい!と想う時にすればいいことなんだって自分に言い聞かせて。



そう決意した時に初めて、
ちょびがいないってことを、
いないけど、いつもいるんだってことを、
初めてちょっとだけど、受け入れるというか認めるというか
そういう第1歩に辿りついたんだと思う。

で、お花を強迫的に買うことを止める代わりに、育つ鉢植えを買おうって思ったんだ。
で、どーせなら、なんつーか、からっとご陽気なモン買おうと
コレまた極端なことを考え、手に入れて来たのがこのモンステラだった訳だ。

まぁ、買う時にちらっと、“これ枯れたら枯らしたら、かなりイタイぞ”と
思わない訳じゃーなかったケド、
花買いに命懸けてる今よりは“前向き”というか“建設的”じゃないかい?と
自分を励まして、買ってみた訳だ。


その後1年以上、
預かりっこがヤバい状態に陥った際などはあっさりその存在は捨て置かれ、
しなっとなったり、くたっとなったりな、
“!!!!!!!!”な事態にも何度か陥りつつも、
なんとか枯らすことなく、すくすくとご成長あそばされ、背丈は2倍以上に。



そして、いつのまにか、気付くと、自然に、したい時にちょびやるるやアルトと向き合えるようになっていた。
“しなきゃっ!!”じゃなく。


むしろ何気ない日常の中で、ふと彼らのことが、ホントに近くに感じられたり、
“しなきゃ”って思ってた時以上にいないことが静かに、でもより辛く思えたりするこの頃。



いないことが当たり前になって、日常になって、
なったけど、
なんだけど、
とてつもなく寂しかったり、悲しかったり、悔しかったりで
どうしようもなかったりもしたりするこの頃。


寂しいから、悲しいから、悔しいから
またわんこと暮らしたいと願うわけじゃなく。

寂しいから、悲しいから、悔しいから、
もうわんこと暮らしたくないと思う訳じゃなく。


思うことは、“ちょびの執事”を精一杯やったってこと。
自分が出来る精一杯、あらん限り、“ちょびの執事”でいた自分がいたってこと。

なにより、そう、自分自身より、大事なモンがあるってのは張り合いあったやねー。
それを幸せと言わず、なんというか!ってくらいの。



たかがわんこ1匹飼うってだけのことなのにねあせあせ(飛び散る汗)


あの幸せをもう1度って切望しながらも、
あの幸せは自分より大事って言いきれたちょびゆえだったとも思える
ちょびと過ごした時間。


あの日々が大事な大事な大きな大きな宝だからこその行ったり来たり。



“犬んぽ”なしの寒さは致し方ないにしても、おこたでも出して、
もうちょいぬくぬくしないといかんな、自分。


inubisline.gif

医療チームの贈り物.jpg


モンステラの後ろに鎮座しているこの似顔絵。
執事と共にちょびの犬生後半の10年を最後の最後の時まで支えてくれたちょびの主治医から
ちょび18才のお誕生日に戴いたもの。
昨今では、亡くなった時にはお花を送って下さる病院も少なくないケド、
ちょびの主治医は執事が知る限り、そういったことを一切なさらない方ゆえ、(実際、ちょびの時もなかった顔(ペロッ)。で、執事的にはそのある意味の潔さはそれはそれで有っ!だ。)
戴いた時はあまりに予想外で、もぅそりゃー仰天し、でも、ホントにホントに嬉しかった。
主治医なりに、ほぼ開院以来の10年、病院最古参患畜として自分が支えた自負と、
最長老わんこになれた喜びを形にして下さったことは、飼い主として涙が出た、共に支えて下さった同士からの贈り物。
年中無休の激務の合間をぬって、わざわざ手配してくれたってのもかなり感激だったし
しかもだ、ちょびの誕生日直前に拉致ったるるを後から追加してくれたその配慮も
感激ひとしおで。(そういう訳でるるがグレー1色となってしまった訳だ顔(イヒヒ)
ちょびの顔が微妙に間延びしてたり、執事が絶対に着ないどピンク着てたりだが顔(イヒヒ)
残された時間を刻んでいるという確かな手応えとその近い未来への底なしの慄きを上回る、
ただただ、ありがたく、どうしようもなく嬉しい、安堵と誇らしさに感極まったあの時をこれを見る度に今も鮮やかに思い出すんだ、執事。
ニックネーム 執事 at 11:14| Comment(7) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする