2007年11月27日

空気の冷たさに思い出したこと

満月が綺麗だった夜。
深夜の外気の冷たさにふと思い出した1年前。

ちょびはその頃、連夜夜鳴き(うぉんっ!と大声で吠える。直ぐ駆けつけないと
ずっと吠え続ける)&激しい分離不安で外出するとずっと吠えてたし、
ちっちもいやがらせなのかそこいら中でお構いなし。
まあるいダイニングテーブルを中心にずーっと黙々と左回りにスタスタと
座った目をして歩き続けてた。
病院に行っても、待合室を左回りにぐるぐると壁沿いに歩き続けてた。
痴呆が始まったねという先生の言葉に、分っていたけど、そんな・・・と絶句した。
心臓もあったから、もぅ、外には通院以外は出さずに、ちょびを文字通り
室内監禁してた執事。散歩も15度以上じゃなければ、絶対出さなかった。
仕事もあったから、昼間の散歩は無理だったし、朝や夕方は15度以上なんて
ほぼ不可能だったからね。

このまま呆けて、寝たきりになって、弱っていくのだろうかという不安に
ホントに怯えて怯えて、毎夜、夜鳴きに付き合いながらネットで痴呆やねたきりの
犬の情報をあさってた。そのまま徹夜で読んじゃったことも何回もある。

あまりに夜鳴きが酷い夜には(なぜか3時頃が一番ちょびはやる気で夜鳴きしてた)
重ね着させて、コート着せて、ブランケットでくるんで、カートに載せて、
更にカートの上からフリースをかけてという重装備で、近所を徘徊してた。
何故か外に出ると夜鳴きが収まるのを知ったから。

執事もコートに手袋、マフラーの重装備で。でも足元から深々と寒さが上がって来て
ホントに凍えそうになりながら、思わずこぼれる涙をマフラーで隠しながらの深夜の散歩。

情けないし、悲しいし、どうしたらいいのか分んないし、自分からちょびを連れて
実家を飛び出してたし、この先どうなるのか、ただただ怖かった。
そんな毎日が、もう嫌で嫌でたまらなかった。出かけていても、常に“駆け足”。
時間を気にして、一刻も早く帰らなきゃといつもなにかに追われてた。
ちょびはかわいかったケド、でもいい加減にしてよ!という気持ちもたしかにあった。
なんで、こんなに困らせるのだろうとキレそうになってた。

なにしろ、執事の心には余裕なんてこれっぽっちもなくて、叫びだしそうだった。

寝不足の上に、思うように使えない時間。生活全てが制約付きで、その制約の原因は
全部ちょびだと思えて、でもちょびには生きてて欲しくて、ホントにホントに
行き詰ってた。その頃は人に任せるなんて絶対したくなかったし、
全部自分で何とかしなきゃって自分で自分をがんじがらめにしてた。
悪いことしか考えられなかった。

吠えないってことが分ってからは、毎晩のように深夜散歩してた。
煮詰まったら、散歩って感じ。
だんだん、習慣になって、涙もこぼれなくなって、靴にホッカイロ入れる知恵も
ついて、徐々に徐々に少しずつ、なんとかなるかもと思えてきた。

母に頼んで、家に来てもらってのお留守番を頼んでの外出もし始めて、
自分の時間も月に何度かは取れるようにして。

それでもやっぱり様子が気になって、なかなかゆっくりはできなかったりだったケドね。
でも、自分なりに“ストレス発散もしなきゃ!”って思えたことは大きなきっかけになった。
日帰りで友人とアウトレットでこれでもかっ!!って買い物したり、
美味しいモノを食べに出かけたり。とはいえ、アウトレットの後の夕ご飯はパスだったり、
美味しいモノの後の定番だった夜お茶はパスして、帰宅しなきゃっていう制約は
付いて回ってた。車移動が定番の執事は、それまであっちこっち距離も時間も気にせずに
でかけるのが当たり前な生活だったから、ストレス解消の為のお出かけのハズなのに、
帰り道にため息でちゃうことも正直多かった。
友人達はちょびのことを知ってるけど“たまにはいいじゃん!”って。
“気にし過ぎだよ”って。“忘れて楽しむ時間も必要だよ”って。
その通りなんだよ、でもあの頃はそれが出来なかった。

中途半端で、出かけてもついつい気になって、留守番の母に連絡して、
“大丈夫”と言われても、やっぱり帰ろうって思っちゃう自分だった。

こんな自分にもちょびにもストレスフルな生活はよくないと気付くには
ホントに長い時間がかかったんだ。

煮詰まって、行き詰って、よくよく考えて、もぅ、ちょびを最優先で考えよう、
どっちにしてもちょびの残り時間はそんなに長いものではないし、
自分の人生はとりあえずおいて置いて、ちょびの“執事”に徹しようって。
自分の人生の数年をちょびにかまけても、その後それを取り戻せばいいって。
それでいいって思えたから、“執事”を始めたんだ。

そう決心してからも、やっぱりなかなか上手くはいかず、散々イライラしたり、
落ち込んだりして、やっと今がある。
長かったけど、間に合ってよかったと心底思う。
もし、途中でちょびを失うことになってたら、それこそ、後悔は深かったと思うから。

今はね、ちょびの執事を卒業したら、やりたいことがいっぱいある。
それはもちろんやらなきゃならないことなんだけど、強制ではなく、むしろ楽しみなんだ。
イギリスにも行かなきゃだし、行くつもりでいたのに延期しちゃったNYにも行かなきゃ。
仕事ももう一回、立て直して(今は最低限しかしてないし、それすらちょびの様子で
辞めちゃうことも多いからね)ガッツリ働かなきゃだし。
人生立て直さないと、執事ボケしちゃってるからさ。
季節を一巡りする間はちょびを思い続けることを自分に許そうって思ってる。
執事から卒業するためのリハビリ期間。
ちょびと一緒に見た景色や、ちょびと一緒に行った場所を季節季節に訪れて
ちょびを想おうって思ってる。そうやって、執事を卒業しようって思ってる。

だからね、今は期間限定の“執事業”。今の環境で新たなわんと暮らすっていう
選択は自分には出来ない。もし将来環境が整って、可能になったらまた暮らしたいとは
思うけどね。でも自分の人生のサイクル考えたら、十数年後にまた執事をやれるのか?って
考えると思う。そこでYES!と言えないならば、やっぱり一緒には暮らせない、もう。

今ね、ちょびがいて、幸せだし、楽しいよ。でもココまで来るのはやっぱりそんなに
簡単なことではなかったもの。もぅ2度と安易には命とは暮らせないと思う。
勢いや思いつき、悲しみを紛らわす為なんてのは無理。ちょびはちょびでしかないし、
今度暮らせるなら、最初から今みたいにずっと十数年を一緒に暮らしたいから。
そう考えると、立て直した後の自分のライフスタイルとは相容れないもの。
かわいそうすぎる。もう、昔のちょびみたいな思いは2度とさせたくないし。

そんな風に思うからこそ、この時間が余計の愛しいのかもしれないな、執事。

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ニックネーム 執事 at 02:46 | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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