2010年11月18日

犬んぽなしの冬

ちょびを送った後、なんやかんやとわんこを次々に拉致していた執事。
春にちびずを送り出して半年強。

20年ぶりのわんこなしの冬。

“犬んぽ”ないと、さぶぃバッド(下向き矢印)

身に凍みてさぶぃ顔(泣)




物理的には、“犬んぽ”がいないからさぶぃんじゃなく、
ただ単に暖房ケチってるからさぶぃんだけど・・・・ね顔(汗)

つか、この家に越してきて以降、ずーっとスパシニちょびがいたし、ちょびを送ってからも
元気ハツラツ系わんこは皆無だった執事家ゆえ、冬でも室温は24度。

チームマイナス5%もけっけっけっと早々に脱退し、
地球に喧嘩売っての電気消費しまくり。



なにせ、大事な執事犬の為ゆえ、毎月のおっそろしい額の電気代も致し方なしだった。
(家族4人の1軒家の電気代より高いと知った時にはクラっとしたケドたらーっ(汗)



そんなさぶぃ執事家だけど、コヤツは元気にすくすくとご成長。


育った.jpg




過去の執事犬の仏壇(もどき)写真に常に写り込んでるモンステラ。
仏壇(もどき)とはミスマッチなトロピカル〜でハワイアン〜なコヤツ。
ご成長あそばされ、かなーり場所取り始めたコヤツ。


かさばっている.jpg



(っつかそろそろ鉢を大きくしてやるべき?あせあせ(飛び散る汗)



ちょびを送ってからというもの、執事は熱狂的花屋通いにどハマった。
お花の仕事をしていたこともあり、かなーりお花の好みがウルサイ執事。
なんとしても、常に、自分が納得する花をちょびに供える!ってことに固執して、
気にいった花を探し求めて、花屋に日参、見つかるまでハシゴするっていう日々が
かなりの間続いた。

花市場に出入りできるゆえ、束買いするのも日常茶飯事。

いったいどんだけ花に諭吉つぎ込んだかと考えると微妙に汗が出るふらふら

常にお線香の香りがしていないと耐えられなかったし、
これぞっ!っていう花が供えられていないとどうしてもどうしても嫌だったのだ。
執事にとって“悼み”の香りである百合の花の香りがしていないと、ちょびがいないことを
忘れてしまうから、(かなりオカシイ逆説的強迫観念。)常に百合の花を欠かさず、
その香りを嗅ぐことで“ちょびはもういない”ってことを自分に確認していたんだ。



いない事実を忘れない為の百合と
ちょびへ手向けるこれぞっ!つう花を
常に常に絶やさずにはいられなかったのだ。




それこそが、
“果てしなくしつこい”執事が
“ちょびの執事”っていう役割を失っちゃった後に
その代わりとしてすがらずにはいられなかった
なんとしてもせねば!と思える、
どうしてもしたいっていう“新たな役割”だったのだ。




そんな毎日を過ごす中で、ある日、そんな日々が苦しくなった自分に気付いたんだ。


なにかに強迫されるがごとく、“しなきゃ”って思う自分が苦しくなったんだ。
でも、してないと、居ても立っても居られなかったのも事実で。


でもね、“しなきゃ”って想うことを止めようって思ったんだ。
そうしたい!と想う時にすればいいことなんだって自分に言い聞かせて。



そう決意した時に初めて、
ちょびがいないってことを、
いないけど、いつもいるんだってことを、
初めてちょっとだけど、受け入れるというか認めるというか
そういう第1歩に辿りついたんだと思う。

で、お花を強迫的に買うことを止める代わりに、育つ鉢植えを買おうって思ったんだ。
で、どーせなら、なんつーか、からっとご陽気なモン買おうと
コレまた極端なことを考え、手に入れて来たのがこのモンステラだった訳だ。

まぁ、買う時にちらっと、“これ枯れたら枯らしたら、かなりイタイぞ”と
思わない訳じゃーなかったケド、
花買いに命懸けてる今よりは“前向き”というか“建設的”じゃないかい?と
自分を励まして、買ってみた訳だ。


その後1年以上、
預かりっこがヤバい状態に陥った際などはあっさりその存在は捨て置かれ、
しなっとなったり、くたっとなったりな、
“!!!!!!!!”な事態にも何度か陥りつつも、
なんとか枯らすことなく、すくすくとご成長あそばされ、背丈は2倍以上に。



そして、いつのまにか、気付くと、自然に、したい時にちょびやるるやアルトと向き合えるようになっていた。
“しなきゃっ!!”じゃなく。


むしろ何気ない日常の中で、ふと彼らのことが、ホントに近くに感じられたり、
“しなきゃ”って思ってた時以上にいないことが静かに、でもより辛く思えたりするこの頃。



いないことが当たり前になって、日常になって、
なったけど、
なんだけど、
とてつもなく寂しかったり、悲しかったり、悔しかったりで
どうしようもなかったりもしたりするこの頃。


寂しいから、悲しいから、悔しいから
またわんこと暮らしたいと願うわけじゃなく。

寂しいから、悲しいから、悔しいから、
もうわんこと暮らしたくないと思う訳じゃなく。


思うことは、“ちょびの執事”を精一杯やったってこと。
自分が出来る精一杯、あらん限り、“ちょびの執事”でいた自分がいたってこと。

なにより、そう、自分自身より、大事なモンがあるってのは張り合いあったやねー。
それを幸せと言わず、なんというか!ってくらいの。



たかがわんこ1匹飼うってだけのことなのにねあせあせ(飛び散る汗)


あの幸せをもう1度って切望しながらも、
あの幸せは自分より大事って言いきれたちょびゆえだったとも思える
ちょびと過ごした時間。


あの日々が大事な大事な大きな大きな宝だからこその行ったり来たり。



“犬んぽ”なしの寒さは致し方ないにしても、おこたでも出して、
もうちょいぬくぬくしないといかんな、自分。


inubisline.gif

医療チームの贈り物.jpg


モンステラの後ろに鎮座しているこの似顔絵。
執事と共にちょびの犬生後半の10年を最後の最後の時まで支えてくれたちょびの主治医から
ちょび18才のお誕生日に戴いたもの。
昨今では、亡くなった時にはお花を送って下さる病院も少なくないケド、
ちょびの主治医は執事が知る限り、そういったことを一切なさらない方ゆえ、(実際、ちょびの時もなかった顔(ペロッ)。で、執事的にはそのある意味の潔さはそれはそれで有っ!だ。)
戴いた時はあまりに予想外で、もぅそりゃー仰天し、でも、ホントにホントに嬉しかった。
主治医なりに、ほぼ開院以来の10年、病院最古参患畜として自分が支えた自負と、
最長老わんこになれた喜びを形にして下さったことは、飼い主として涙が出た、共に支えて下さった同士からの贈り物。
年中無休の激務の合間をぬって、わざわざ手配してくれたってのもかなり感激だったし
しかもだ、ちょびの誕生日直前に拉致ったるるを後から追加してくれたその配慮も
感激ひとしおで。(そういう訳でるるがグレー1色となってしまった訳だ顔(イヒヒ)
ちょびの顔が微妙に間延びしてたり、執事が絶対に着ないどピンク着てたりだが顔(イヒヒ)
残された時間を刻んでいるという確かな手応えとその近い未来への底なしの慄きを上回る、
ただただ、ありがたく、どうしようもなく嬉しい、安堵と誇らしさに感極まったあの時をこれを見る度に今も鮮やかに思い出すんだ、執事。
ニックネーム 執事 at 11:14| Comment(7) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする